人生の歩み

2024年5月編集

海へ行った時の写真、この頃は良く仕事をして良く遊んでいたな~!三浦海岸や伊豆の戸田岬など…夜は蒲田のキャバレーで豪遊?良く見るとかなりスマートな体形!この頃はこんな体系だったんだ?そこそこ行けるじゃん!それに引き換え今の体型は?まぁ重力の関係で…

人には人生ガリ小生にも人並に?出生から子供時代、そして青年期と…そして終末期迄をデジタルで残す事にした。昔の写真はフィルム撮影なのでプリントが色あせて来て長期保存が効かない。その為にその写真をデジタルに変換してアルバム形式にして…我が人生も結構色々と有ったと言う懐かしさも思い出しながら?
 誕生から幼年期

時代は変わり?車は自動三輪車からフソーの4トン車に代わる。この車は出始めでまぁ乗り心地は良く馬力も有って乗り易かったな~!そして寮から出て初めての4畳半のアパート生活の始まり・・・この頃にはオリンピックによる首都高の工事に伴って麻布の会社が立ち退きに成って大田区の東糀谷に引っ越した。最初は田舎くさくてどぶくさい、と言う事で長居はしないと決めていたのに?何と終の棲家が大田区に成ろうとは!まったく長いね~!

上京して最初の仕事は保谷で西武線の保線作業の仕事をしていたが直ぐに職を鞍替え!そして東京の麻布に有った機械鳶の運送屋に勤務、旋盤やフライス盤などの工作機械を三又で吊り上げて移動する仕事、会社は麻布二の橋、そして寮は恵比寿と麻布、まぁ都会の生活を味わっていた?通勤は車とチンチン電車(路面電車)確か運賃は15円位だったと記憶?
 東京での生活の始まり・・・
福島県の会津、今となっては有名な喜多方ラーメンの里?ちょっと離れた田舎町で生まれた少年!曾おばあちゃんと袴姿で記念撮影?小学校入学の時かな?そして中学校は近くの学校と統合してマンモス校に?・・・此処で幼年期を過ごす、
そして学校を卒業してもこの乾物屋で働いて…その後に喜多方市の自動車修理工場へ転職、これからが激動の?少年生活を送る事に…まず家に帰ってこないで友人の家を転々と泊まり歩いて遊びまわる?此処で色々と有って田舎を離れる事に!そして暫くして東京と田舎の二極生活が2年ほど続く事に…理由は祖父の看病の為?今考えたら最後まで看取ってやれたらと…常に後悔の念に駆られます!
そして少年期は朝は新聞配達、その後学校が終わってからは乾物屋(ガソリンスタンドから食品まで今で言う小さいスーパー?)でアルバイト、まぁ毎日朝から晩までよく働いたな~!その頃の金の使い道は殆どがラジオ等を作る部品代?この頃は良かったのだが?…真ん中の写真の後ろに写っている車はマツダのキャロル!解るかな~?マツダの初めての4サイクル4気筒の軽自動車だった!そして右の車はダイハツの自動三輪車、2気筒の丸ハンドル車!この頃は角型ハンドルと言う三輪車も並行で走っていた、始動はキック式・・・